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2021/03/23

伊達政宗の肖像画 描いてみました。

インスタグラム : kakushigoto

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「伊達政宗」は、「独眼竜政宗」の異名で知られる出羽国(でわのくに:現在の山形県と秋田県)出身の戦国武将。

10年、20年生まれるのが早ければ天下人となっていたかもしれないと言われる伊達政宗は、謝罪と処世術の達人でした。

伊達政宗が伊達家当主として家督を継いだのは、1584年(天正12年)、「本能寺の変」により「織田信長」が「明智光秀」に討たれた2年後のことです。

豊臣秀吉は、小田原征伐で北条氏を滅ぼしたあと、恭順の意向を示さない陸奥・出羽の諸大名と、伊達政宗を討つために会津に攻め込むつもりでいました。

その矢先に伊達政宗が小田原に遅れて参陣したため、豊臣秀吉は伊達政宗を討伐する絶好の機会を得られたのです。

伊達政宗は、箱根の山へ幽閉され、そこで豊臣秀吉の忠臣「前田利家」の詰問を受けました。すると伊達政宗は、「千利休に茶の手ほどきを受けたい」と言い出します。

この話を聞いた豊臣秀吉は「処刑されるかもしれないと言うのに、なんと豪胆な男だ」と関心を抱き、伊達政宗と面会することにしました。

そして、現れた伊達政宗の姿に豊臣秀吉や諸将は驚きます。

伊達政宗は、処刑を覚悟して死に装束を着用していたのです。

豊臣秀吉は、携えていた杖を伊達政宗の首へ突きつけて、「もう少し遅ければ首が飛んでいたぞ」と言い放ちました。

こうして伊達政宗は、改易や処刑は免れたものの減封処分を下され、伊達政宗が抜けた会津には、豊臣秀吉の配下「蒲生氏郷」(がもううじさと)が収まることになります。

 

さて、描きあがりのほうですが、なかなかメリハリがあっていい感じだと思います。一筆一筆も集中して描く事ができました。

今後も、しっかりペースを守って取り組みたいと思います。

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