2021/12/06
徳川家綱の肖像画を描いてみました。

インスタグラム : kakushigoto
https://www.instagram.com/kakushigoto_25.13/?igshid=14m6zpfzds9z2
徳川家綱は、わずか10歳で後継者となりました。
武力や威圧で民を縛り、家臣を押さえ付ける政治手法には先がないことを見越しており、
徳川家光の意向は踏まえつつも有能な側近を重用するなど、よりやわらかい文治政治へと
路線転換を図ります。
徳川家綱にとって最大の危機とも言える災害が、1657年に起こった「明暦の大火」です。
出火した火事は瞬く間に江戸中に広がり、3日間燃え続けて江戸のおよそ6割が焼失。
死亡者は10万人を超えるほどだったと言われています。
家綱は保科正之と共に16万両の救助金や参勤交代の見直しなどを行い、江戸の町の復興を
第一に考えた指揮を執ります。
徳川家綱の、平和な世の中にふさわしい穏健な政策が、やがて徳川政権の安定的な継続に
つながっていくのです。
しかし、家綱は体が弱く40歳で逝去、実子がいなかったため徳川初の養子に迎えて、
将軍の嫡子としたのです。
さて、描きあがりのほうですが、顔が似ないです。
次回はしっかりとパーツの配置を見て描きたいと思います。