2022/07/24
徳川慶喜の肖像画を描いてみました。

インスタグラム : kakushigoto
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徳川家達が生まれた田安家は、「一橋家」や「清水家」と共に、徳川宗家より分立した徳川御三卿のひとつです。
徳川家達に次期将軍候補となるチャンスが訪れます。
それは徳川家達が、まだ4歳であった1866年、徳川家茂が「第二次長州征伐」の最中に、
滞在先の「大坂城」内において、21歳の若さで急逝したのです。
しかし、国内では動乱が繰り返され、いくつもの外国船が往来する脅威が迫っていたなかで、
4歳の徳川家達が将軍として幕政を司ることは当然ながら難しく、
そのため最終的には、もうひとりの次期将軍候補であった「徳川慶喜」が15代将軍に就任したのです。
その後、政権は明治政府へと移り家達はイギリスに留学したり、貴族院議員を務めたりします。
功績としては、「渋沢栄一」の支援によって創設した「日本赤十字社」の社長や、「東京五輪組織委員会」の委員長などを歴任、
「ワシントン軍縮会議」では全権委員のひとりに選ばれ、国際協調に注力するなど、外交面でもその手腕を見せていました。
さて、描きあがりのほうですが、この時代になると元絵がなく写真しかありませんでした。
すっかり、日本画特有の省略観がなくなってしまいました。次回は一旦お休みです。
題材が決まり次第 アップしていきたいと思います。