2021/08/22
井伊直政の肖像画 描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
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井伊直政は徳川家康に小姓として迎えられました。
本能寺の変で立場が危うくなった家康を三河国に守り届ける「神君伊賀越え」での名言があります。
伊賀越えの途中、徳川家康一行は空腹に耐えかねて神社にお供えされていた赤飯を拝借しました。
唯一口にしなかった井伊直政に対して徳川家康が「遠慮はいらんから食べるが良い」と勧めたところ、
井伊直政は毅然とした態度でこう言いました。
「敵が迫ってきたらそのときは、自分がここに踏みとどまって討ち死にする覚悟です。討ち死にしたあとに腹の中から赤飯が出たら、
飢えのあまりに供え物に手を出したことを知られてしまう。そうなれば武士の名折れです」
井伊直政の心意気に居合わせた者は感心し、その後無事に三河へと帰国した折には、徳川家康から孔雀の羽で折られた陣羽織「孔雀尾具足陣羽織」を贈られたと言います。
1584年の小牧・長久手の戦いでは、鉄砲300挺が豊臣秀吉軍の意表を突き大きな武功を挙げ12万石と上野国 箕輪への入封を果たし、徳川四天王の中でも最大の恩賞を得ました。
しかし、1600年、天下分け目の「関ヶ原の戦い」で島津軍が撃った銃弾にあたり落馬してしまいます。
戦自体には勝利しましたが、、2年後に佐和山城でこの世を去りました。享年42歳でした。
さて、描きあがりのほうですが、やはり顔ですね。別人になってしまいます。
次回は、顔に注意を払って丁寧に模写したいと思います。