2022/05/06
光格天皇の肖像画を描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
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光格天皇の在位期間は、江戸幕府第10代将軍 徳川家治 から第11代将軍 徳川家斉 の時代で、
近世日本最大の飢餓である「天明の大飢餓」や災害が多発していた頃でした。
民衆を救いたいと思った光格天皇は、禁中並公家諸法度に違反する覚悟で幕府に申し入れることを決意し、
幕府は京都の人々に1500俵の米の配布を定めて実行します。
本来、朝廷が幕府の政策に口出しすることは違反行為でしたが、事態を考慮した幕府は光格天皇を不問とし、
民衆救済の政策を受け入れました。この処遇を行ったのが老中 松平定信です。
さらに光格天皇は、父である典仁親王に孝行したいと思い尊号付与の申し入れを行いました。
しかし、幕府はこちらを却下します。
このやり取りが何度か行われ、松平定信は頭を悩ませていたそうです。
結果、尊号付与は認められなかったものの、幕府は朝廷に配慮して、典仁親王に1000石加増の対応を取りました。
これにより、朝廷と幕府は対立を深めずに良好な関係を保ち続けることができました。
光格天皇は温厚な性格で、周囲から尊敬を集めていた天皇だったと言われています。
そんな光格天皇の人柄が、幕府との関係にヒビを入れずに済んだ理由だったのかもしれません。
さて、描きあがりのほうですが、顔が小さくなりました。いつもは大きくなるのでこんなことは初めてです。顔も違いますね。
次回は、しっかり下絵を見ながら描きたいと思います。