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2021/02/27

足利義持の肖像画 描いてみました。

インスタグラム : kakushigoto

https://www.instagram.com/kakushigoto_25.13/?igshid=14m6zpfzds9z2

 

義持は、父 義満没後に独自の政策を次々と打ち出していきます。

全体的に見ると父の代にあっちこっちにくすぶっていた不満を中和しようとしていろいろやったという感じがします。

義満は明から「日本国王」と見なされ、冊封体制(中国の家来になるという意味)に日本が入ることを了承していましたので、

当然ながら皇室や朝廷からは大不評でした。

それを知ってか知らずか。義持は父の没後、明からの使者を京都に入れず追い返しています。

義満の時代に勘合貿易が始まりましたが、その後、この単語が全く出てこないのは、ただ単に義持の時代に終わってたからなんですね。

明からは当然激怒されましたが、義持はシカトを貫きました。

その他に楠木家の残党が暴れるわ。弟の義嗣が「ボクの所領少ないんですけど!」とダダをこねるわ。

関東で上杉禅秀(氏憲)という人物が反乱を起こすわととても落ち着ける状況ではありませんでした。

しかし、朝廷と極めて良好な関係だったそうで、単なる短気な乱暴者ではなかったようです。

義持の時代は室町幕府が幕府らしい威容を保っていた時期ですので、なかなか有能な男だったようです。

 

さて、描きあがりのほうですが、まあまあ気に入ってます。一筆一筆を割りと丁寧に描けたと思います。

今後も、しっかりと対象物を見てから丁寧に線を入れたいと思います。

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