2021/10/11
宇喜多秀家の肖像画 描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
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織田信長に手厚く保護されながら、宇喜多秀家は家督を継ぎます。わずか10歳での出来事でした。
信長の命で豊臣秀吉と共に毛利攻めも行い、重臣たちの支えもあり順調に軍功をあげていきます。
本能寺の変後は秀吉の家臣となり、小牧・長久手の戦い、小田原征伐、文禄の役、慶長の役と順調に実績を積んでいきます。
1598年に2度目の朝鮮出兵から帰国した宇喜多秀家は、朝鮮での軍功や岡山城の改修など、多岐にわたる功績によって、
豊臣秀吉から豊臣五大老のひとりとして任命。
しかし、秀吉がなくなったころから宇喜多騒動が起こります。これにより、急速に衰退していきます。
さらに、関ヶ原の戦いでは石田三成側の西軍として参加しましたが、徳川勢に敗退します。
徳川方は宇喜多秀家を助命したものの、「八丈島遠島」にしました。
その後約50年、ここで流刑生活をおくりました。
さて、描きあがりのほうですが、顔のアップの場合はスキャニングが難しいです。どうしても、描いていないリアルな影が発生してしまします。
表情も変化してしまいます。要研究です。次回も丁寧に作業したいと思います。