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2022/01/27

徳川光圀の肖像画を描いてみました。

インスタグラム : kakushigoto

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水戸徳川家で最も知名度が高い人物と言えば、「水戸黄門」の愛称や

水戸光圀で知られる徳川光圀です。

実は、江戸に渡り世子教育を受けるなかで荒れた時期もあり、

些細なことで腹を立て、日本刀を振り回したり、「吉原遊郭」に通い

詰めるなど問題行動を繰り返していました。

そんななか、18歳のときに出会った中国の歴史書「史記」に感銘を

受けた徳川光圀は、学問の面白さに目覚めていったのです。

そして、1657年から徳川光圀は歴史書「大日本史」の編纂作業に取り組みます。

1661年に徳川光圀は、父・徳川頼房が逝去したことで、水戸藩2代藩主を襲封し、

家臣の「殉死」を禁じます。

さらには、、儒学、国学、史学など、様々な学派を網羅し、水戸藩における

学問「水戸学」の基礎と作ります。

水戸徳川家に受け継がれた水戸学は、「尊王・敬幕」の政治的思想が強く、

多くの幕末志士達に影響を与えていくことになるのです。

また、食通だったともいわれていて、ラーメンの作り方を学び家臣に

ふるまっていたそうです。

1701年に食道がんを患い、73歳でこの世を去りました。

これは、当時の老人としては長寿と言われる享年です。

多様な食生活を楽しんでいたことが、徳川光圀の長寿の秘訣だったのかもしれません。

 

さて、描きあがりのほうですが、雰囲気もあっていい感じだと思います。

あとは線のオリジナリティを出していきたいです。

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