2022/05/16
徳川家慶の肖像画を描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
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徳川家慶が12代将軍に就任したころ、幕閣内では賄賂が横行し政治は腐敗。
11代将軍 徳川家斉は多くの側室を娶り、多くの子を儲けたため、
大奥にかかる莫大な費用が幕府の財政を圧迫し、破綻寸前となっていました。
徳川家慶は財政を省みず、贅沢な生活をしている父の徳川家斉に、反発心を抱いていましたが、
徳川家斉が大御所として実権を握り続けていたため、徳川家慶は12代将軍となったものの、
発言力は強くありませんでした。
そのためこの頃の徳川家慶は政治に対して無気力となり、家臣や大御所が決めたことに対して
「そうせい」としか言わず、家臣から「そうせい様」と揶揄されていたそうです。
1837年モリソン事件が起きると幕府を批判した蘭学者を処分するなどの対応を、父 家斉が迎えた 老中 水野忠邦に一任します。
しかし、「天保の改革」は失敗に終わります。
徳川家慶は改革に失敗した水野忠邦をすぐに罷免し、当時24歳の 阿部正弘を老中に任命。
阿部正弘は、天保の改革で混乱した社会の収束に奔走することとなりました。
明治維新・幕末の動乱の直前を生きた徳川家慶は、その最中で翻弄されつつも次の時代へと橋渡しをした人生だったのです。
さて、描きあがりのほうですが、今回もバランスよく描けたと思います。
次回も、服の塗りつぶしにもこだわりたい所です。