2022/03/22
徳川家重の肖像画を描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
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徳川家重は、生まれながらにして身体が弱く、障碍を持っていました。
そのため言語が不明瞭で、コミュニケーションを取ることが大変難しかったと伝えられています。
1745年、晴れて9代将軍・徳川家重が誕生します。
ただし、父 徳川吉宗は完全に引退せず、「大御所」として政治の実権を握り続けました。
徳川吉宗の死後、「側用人制度」として田沼意次に政務を任せます。
また、16歳から小姓として徳川家重に寄り添っていた、大岡忠光も側用人として難しい役割をこなしています。
宝暦の飢饉や郡上一揆、宝暦治水事件、宝暦事件などが起こりますがまあまあ安泰な時期だったといえます。
1760年、徳川家重の側用人で親友の大岡忠光が亡くなります。享年52歳。
徳川家重は、同月に長男である徳川家治に将軍職を譲り、大御所となっています。
しかし、翌1761年、享年50歳で死去。
自分のことを最も良く理解してくれた人物が去ったあと、ときを置かずに徳川家重もこの世を去ってしまったのです。
さて、描きあがりのほうですが、雰囲気は出せたと思います。
次回は瞳に注力したいと思います。