2021/06/07
柴田勝家の肖像画 描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
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織田信秀の家臣であった柴田勝家ですが、1549年に織田信秀が死去すると、織田信長の弟「織田信行」の家老になります。
その後、信長と信行が対立し「稲生の戦い」が勃発。
激戦の末に信長勢が圧勝。結局、柴田勝家らの織田信長討伐計画は大失敗に終わりました。
以降は、信行を見限り信長側につきます。もともと名将であった勝家は1560年 「桶狭間の戦い」や、
1564年の「犬山城攻略」など数々の武功をあげますが、本能寺の変で信長が打たれると、豊臣秀吉と対立し始めます。
結果、1583年 「賤ヶ岳の戦い」で、豊臣秀吉は柴田勝家を破り、織田信長後継者の地位を確立。
正確には、柴田勝家が味方の「前田利家」に裏切られ、総崩れして退却したのです。
翌日、柴田勝家は腹を十文字に割いて、信長の妹で60歳で結婚したお市の方と共に自害しました。
さて、描きあがりのほうですが、無骨な人柄は出ているものの丁寧さに掛けています。
次回は、もっと緊張感を持って描きたいと思います。