2021/10/02
直江兼続の肖像画 描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
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当時9歳だった上杉景勝は、「上杉謙信」の養子になり、この時、直江兼続は上杉景勝の近侍となったと言われています。
1578年、上杉謙信が突然死去したことで、後継者争いが勃発し御館の乱が起きます。
北条氏と手を組んだ上杉景虎と武田氏と手を組んだ上杉景勝の争いで、上杉景勝が勝利し上杉謙信の後継者となります。
本能寺の変後は、秀吉の下で上杉景勝と直江兼続の二頭体制で上杉家を支えます。
しかし、秀吉の死後は同じ五大老であった徳川家康と対立構造が表面化し、関ヶ原の戦いでは石田三成の西軍側として戦います。
結果は、家康東軍の勝利となり、上杉景勝と直江兼続は徳川家康に謁見して謝罪。
その後は、徳川家と上杉家の良好な関係を築くべく婿養子をとったり、与えられた米沢藩で氾濫しやすい最上川上流に巨大な堤防を建造するなどの、
治水事業にも力を入れて貢献しました。
こうして城下町の整備・鉱山開発・教育環境の整備にも取り組むなど、米沢藩の基礎を築いていったのです。
さて、描きあがりのほうですが、自分では丁寧に筆を運べたと思います。表情も良く優しい雰囲気を出せたと思います。
次回も、特徴をとらえた表情にしたいと思います。