2021/09/26
真田昌幸の肖像画 描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
https://www.instagram.com/kakushigoto_25.13/?igshid=14m6zpfzds9z2
真田家の武将では「真田幸村」が有名で、NHK大河ドラマ「真田丸」で取り上げられ、多くの現代人がその生きざまを知ることとなりました。
ここでは、その真田幸村の父親で、同じく大河ドラマにも登場した「真田昌幸」についてです。
武田家を裏切らないための保険として、真田昌幸を武田信玄が人質として養子として預かることになります。
甲斐国甲府で学問や軍略などの英才教育を受け、武田信玄の「奥近習衆」に加わる等メキメキと力をつけていきます。
武田信玄の死後も武田軍に使えますが、1582年に織田・徳川連合軍が本格的に武田領への侵攻を開始。
武田勝頼は奮戦しましたが、家臣の裏切りに遭い、自害してしまうことになります。
真田昌幸は様々な状況を考慮して織田家に従属することを決断。
しかし、本能寺の変が起きると上杉に従属し、状況が変わると今度は北条に従属。
さらには徳川に従属と転身を繰り返しました。もちろん真田昌幸が真田家の生き残りをかけて打った大博打です。
徳川に従属していた真田昌幸でしたが、領土問題の影響で合戦に発展してしまいます。1585年に起きた「第1次上田城合戦」です。
奮闘はするものの、勝利は見えず豊臣秀吉に従属することで危機を乗り越えます。
豊臣家で安定期になる真田家でしたが、関ヶ原の戦いが始まると徳川側と石田側にも血縁関係を結びどちらに転んでもいいように戦略を立て、
最終的には徳川家につくことで真田家を継承させます。
とにかく先読みが得意な武将だったようです。
さて、描きあがりのほうですが、いい味を出していると思います。
次回も、特徴をとらえた表情にしたいと思います。