2021/02/05
山名宗全の肖像画 描いてみました。
インスタグラム : kakushigoto
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宗全は、養子縁組や婚姻などの人脈を利用して、一族内外に膨大なネットワークを張り巡らせていきます。
当時、宗全ほどに広く諸大名に対して影響を及ぼせる人物はいなかったと言われており、山名氏は
いつの間にか、幕府の官僚家である斯波氏(しばし)、細川氏(ほそかわし)、畠山氏(はたけやまし)に次ぐ家格を誇るようになっていました。
権力の拡大は人脈だけに頼ったものではなく、戦闘能力の高さにおいても圧倒的に優れていたことを物語っているのです。
このように宗全が荒々しい性格の持ち主だったことが災いして、協力関係にあった娘婿の「細川勝元」(ほそかわかつもと)と
の間に亀裂が生じてしまいます。
もともと娘を官僚家である細川家に嫁がせたことも宗全の策略でしたが、宗全にとっては婚姻を結んだあとも、
勢力を拡大する上ではライバル関係にありました。そのような状況の中、勝元が宗全と敵対関係にある赤松氏(あかまつし)を
擁護したことで、宗全の怒りを買って一気に関係は崩壊へと向かうことに。
この細川氏と山名氏の二大勢力の対立と、官僚家である斯波氏と畠山氏の家督争い、そして足利将軍家の後嗣争い
という3つの対立関係が複雑に絡み合い、利害関係の一致した者同士が西軍総大将に宗全、東軍総大将に勝元と大将を立て、
2つのグループに分裂したことで応仁の乱へと発展していきました。
さて、描きあがりのほうですが、荒々しい性格らしいのですがもと絵は落ち着いた物を参考に描きました。
なかなかいい感じだと思います。衣服の重量感がでていて表情もあって気に入ってます。
今後も一線一線、動きのある作品にしていきたいと思います。